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夫婦対談「クワズイモのくらし」

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私は、2006年8月1日、第一子を妊娠9週で繋留流産、2007年8月13日、第二子を子宮内胎児死亡のため妊娠34週で死産しました。泣き声をあげることのなかった子どもに、もう一度会う旅を続けています。

2008年01月24日

救われること。

後悔していないということ。もともと後でくよくよするのが嫌いな質というのもあるが、おおむね「こうすればよかった」と思うことがない。

私は、2003年に自宅で個人事務所を構えた。それまで昼も夜もなかった仕事のやり方を変え、私と夫の食生活をきちんと管理するためだ。いつか迎える新しい家族のために、十分な環境と時間を準備するためでもあった。もちろん、当時はこんなに大変な思いをするとは想像もつかなかったのだけど。

大体において大きな外的ストレスを回避しながら、私たちのペースで、きちんとひとつひとつ納得しながら、妊娠生活を送ることができた。今考えるとそこには、いくつもの偶然や幸運が含まれていた。

最初の妊娠からお世話になった近所の産婦人科や、死産がわかって救急車で運ばれた先の大きな病院でも、スタッフのみなさんに恵まれ、十分によくしていただいた。みなプロフェッショナルで専門分野に誇りを持ち、熱い気持ちを心に抱えておられた。私と夫と娘を十分に気遣い、適切で冷静な処置をしてくださったと思う。

そして、私と夫をとりまく人たちの、有言のはげましや無言の気遣いだ。人の言葉や表情のかすかな揺れにとても敏感になっていた私たちに、その人の人柄を感じさせるさまざまなやり方で声をかけてくださった。日常に、私と夫をそっと引き戻してくれた。これまでの30余年、築き上げてきた人間関係にひとかけらの間違いもなかったと、本当に何度も思った。

一番は、娘が顔を見せてくれたことだ。 今回のことはいろいろ調べたのだが未だ原因が見つからず、お腹の中での突発的な事故ではないかと言われている。そうなると、ことは5カ月にでも6カ月にでも起きた可能性があった。しかし、娘は運命を抱えて9ヵ月間私のお腹にとどまった。そして最後の力をふりしぼって私に陣痛を起こし、自然分娩をもたらした。このことは、後に先生方に驚かれた。誘発剤を使わず、しかもかなり短い時間でお産にこぎ着けた。

そして、娘が顔を見せてくれたことだ。 ふっくらとした手足。時間の経過とともに肌につやが出て、紅潮している。私に似て、強情そうな口元をへの字に曲げてぶすっとしている。今はただ、少し眠っているだけだ。そんな、夢のような、何というか、よろこび、のような。

娘が亡くなって5ヵ月、今は毎日私と夫をはげましてくれる。すごいやつだ。なんてすごい力を持っているんだ。

生活に娘の存在を感じる。すごく晴れていたのに突然大雨が降ったりするとき。白花豆がとても美味しくふくふくと煮上がったとき。絶妙のタイミングで愛用のコインパーキングが1台分空いたとき。夫はとりわけ月に魅入る。

私と夫は、娘に救われて生きている。