クワズイモデザインルーム







ぼくらの家ができてから

夫婦対談「クワズイモのくらし」


(c)クワズイモデザインルーム 2007
All rights reserved.
コンテンツ上に掲載されている文章及び画像、写真等の著作権は全てクワズイモデザインルームに帰属するものです。 無断で複製他の媒体への転載は法律で禁じられています。

私は、2006年8月1日、第一子を妊娠9週で繋留流産、2007年8月13日、第二子を子宮内胎児死亡のため妊娠34週で死産しました。泣き声をあげることのなかった子どもに、もう一度会う旅を続けています。

| Next»

2017年08月12日

私の娘が生まれて今日で10年だ。彼女はあと2週間で臨月というときに私のお腹の中で静かに呼吸を止めた。そして生まれてきた。

分娩後の5日間は、周囲にそれとなく私を1人にしないようにする雰囲気があった。面と向かって言われたわけではないけれど、「万が一のことがあったらいけないから」、ということだったのだと思う。そんなことは経験したことがなかったので少し驚いた。でも確かにそのとき、私はこれからどうやって生きてゆけばいいのかわからなくなっていた。

10年後の今日、私はずいぶん広くて明るいところにいる。自由で元気で力があって、明日が来るのが楽しみで仕方ない。

けれども私はいつでも帰ることができる。夫と私と、保冷剤をまとった美しい赤子が眠る世界の果てみたいなあの病室へ。

10年経った今でも、私の一部はまだあの部屋にいて、娘の顔をのぞき込んでいるのだ。

10.jpg

2017年01月10日

けれども、その凪のような4日間。私はやはり望みを捨てられない。静かに静かに、奇跡を待つ。私と私の体は、手に手を取り合い、下がりつつある体温を懐に抱えるようにして、じっと疼くような時を過ごすのだ。

妊娠を目指している人が月経を迎えることを、「リセット」というのだそうだ。

私は今度の春で、「リセット」し続けて3年半となる。数えるならば42回、毎月欠かさず「リセット」してきた。一時期は妊娠することだけに心を持って行かれてしまい、うまく生きていけなくなった時もあった。

今は、ずいぶん楽になった。妊娠することは宝くじに当たることに近いと考えている。宝くじに当たることを夢見る人は数多(あまた)いるが、宝くじにはずれて泣く人はいないだろう。買わなければ当たらない。当たったらまるもうけだ。

毎月、何かいいことを生活に加えている。体に負担にならないこと、心に負担にならないこと、お財布に負担にならないこと、この三つに当てはまることなら何でもだ。これはいいな、と思ったら、次の月も続ける。例えばウォーキング。例えばストレッチ。例えば朝パンではなくご飯を食べる。例えば夜9時には寝る。何しろ40回近くリセットしているのだ。大小様々な習慣を身につけた。いずれにしろ、妊娠しやすい体を作ることは、女性にとって悪いことはあまりない。何より、自分の身体をじっと思いやり、その声に耳を澄ませて日々を送ること。その大事さは一言ではちょっと説明できないくらいだ。もしかして延命につながるのではとさえ思うくらいだ。

いつもその月の自分ではなく、次の月の自分を思う。体に対してすぐに結果を求めない。何日か後のリセットを避けようとして時を過ごしていると、今、目の前にある大切なことを逃してしまうからだ。例えば夫の小さな風邪。例えば息子の物思い。例えば私に期待を寄せてくださって舞い込んできた新しい仕事。

だから、今月の「宝くじ」は、買ったらすぐに神棚に挙げて、後は忘れるくらいでいい。私の「宝くじ」は抽選発表を見逃すことはないからだ。もし当たっていれば、間もなく私の体をノックする。外れていてもまたノックがある。月に潮目があるように、私の体にも潮目があるのだ。今では、その潮目の変わり目、小さなノックの音が聞こえるようになった。月経が訪れる4、5日前には分かる。

朝、起きたときに分かる。目覚めがものすごく唐突で「ハッ」というような感じで起きるのだ。それが合図だ。そして暗闇の中で息を整え、思う。 「今月もダメだったんだな」

でも、それは次の卵が育っている証拠だ。数日中に来る月経は、終わりでもあり始まりでもあるのだ。まぎれもなく喜びなのだ。

2016年12月14日

次の8月で、小夏を亡くして10年になる。 まだ、旅は続いている。

3年半前に胞状奇胎と診断されてから1年後の2013年から、小夏を探す旅を再開した。2014年の春に、馴染みの大学病院をまた訪ねた。それから毎月、卵と子宮内膜の状態をチェックしてもらっている。

私の卵は、42を過ぎても毎月元気だ。「今にも妊娠しそうな感じがするんですけどね」と、先生は言う。高温層もはっきりしていて、月経もほぼ28日周期だ。内膜の厚みが多少物足りない月は注射を受ける。2016年の春からデュファストンの服用を始めた。それ以上の治療はない。後はタイミングのみ。通っている大学病院で人工的な処置を行っていないということもあったし、タイミングのみであとは天に任せるという夫婦間の前提がある。

私は、毎月、小夏と待ち合わせをしている。いつももう少しのところで会えない。小さな邪魔が入るのだ。突然の用事ができたり。ちょっと風邪を引いてしまったり。出かける前に忘れ物をして取りに戻ったら時間に間に合わなかったり。約束の場所に行ったけど、お互い大事なときによそを見ていてすれ違ったり。

でも、来月がある。多分、近いうちに会える。

ブルーベリーは棺に入れた果物だ。

小夏がこときれる前日、夫が畑のブルーベリーを収穫していたとき蜂に刺された。彼が後にそのときの恐怖を語ったとき、言外に小夏の助けがあったような印象があった。私にとってブルーベリーはそういう果実だ。

あれからブルーベリーの樹を避けていた。たわわに実ってしなる細い枝を横目に、そして夫が穫り損ねてしわを寄せて萎える実を遠目に、ついぞ近寄らなかった。

今年、気がついたらブルーベリーの樹の前にいた。

初めてつかむ熟した実は、まだ穫り頃でない実も同じ房に付いていて、それらを傷つけないようにしながら目当ての実だけを収穫するのに骨が折れた。穫っても穫っても実は鈴なりで、家に何度も新しいボウルを取りに戻った。喉がすぐに干上がった。虫の害を避けるために身につけた手ぬぐいやアミ付きの帽子や長袖や軍手の内側という内側は、ことごとく汗でびっしょりになった。空にはできたての夏の雲があった。

私はブルーベリーの景色を知らずに過ごしてきた。知ることができて、よかった。これから9年目の夏がはじまるのだと思った。

berry.jpg

2014年08月23日

seven

7年前になりました。だから7歳だ。

今年の夏はずっと雨が続いて なかなかコナツのための場所を掃除できなかったので 今日、気持ちのよい朝に。

洗ったり日陰干ししたりしてる間 からっぽになっている「そこ」は、 私の中にある「がらんどう」に似ていた。

いつかまた会いたいな。 あっち行ってこっち行って戻って来て やっぱりいつも思うんだ。

2012年08月28日

コナツに会いたいという気持ちは消えない。玉のような息子をかたわらに、もう一つ新しい命を求めている。

すぐに検査薬は陽性を示した。いつもの感触だ。そして不安。これもそう。

もう長く世話になっている大学病院の産科がある新館へ行った。ほどなくして命が形になっていないこと、そして、胞状奇胎という病名を告げられた。すぐにでもお腹の中を正常な状態に戻すことが必要だという。入院と手術の準備をして、婦人科の旧館へ向かう。また、ここへ舞い戻ってきた。少しリフォームの手を加えただけの年期の入った病棟だ。それでも懐かしさで、新館より居心地がよく感じられる。

やれやれ。私はいつここから抜け出すことができるのだろう。

手術はいわゆる掻爬で、同じ手術を二回行う。胞状奇胎はホルモン値の異常な高騰とともに、ひどいつわりや出血があるというが、私の場合、ホルモン値は高いが、身体に感じる症状はない。新しい命への期待、次なる母性の目覚めを、いつものやり方でなきものにして(要はめそめそしていたわけです)、なんとかやり過ごしたのはもう2〜3週間も前になる。だから傍目には元気なものだ。手術の全身麻酔のおかげで、私の身体に何か施されたという感触すらない。術後の少量の出血と麻酔が残した眠気くらいだ。

今朝、二回目の入院で病院に向かう。

息子が元気で、今日も朝から私の作ったブルーベリーの蒸しパンをもりもり食べていること。夫が夏休みを利用して退院までの三日間、私に付き添ってくれること。これよりもさらなる幸せはあるだろうか。

それにしても、今回の病気、二度の初期流産、子宮頸管無力症、そして死産。全て関連性はない。全て「防ぎようのなかった」事故のようなもので、4人に一人はあるという初期流産を除けば、「なかなかないことですよ」と言われる珍しい症状だという。夏空の入道雲を眺めながら、その「なかなかない」症状に対し何らかの処置を受け、青々とした木々に囲まれた自宅へ戻る。それはいつも夏だ。来年はサマージャンボでも買ってみるかと、力ない冗談も出てくるくらいだ。どうやら充実した我が人生の、ここがウィークポイントのようだ。

あきらめない。 コナツに会えるという果てない自信が、私を動かしている。特に根拠のない自信だ。でも私についての自信は私が持っていればそれでいい。根拠はいらない。今までだって私はそうやって生きてきた。あきらめる理由が一つも見つからない。

2010年09月08日

朝方、夢を見た。 昔愛して叶わなかった友人や恋人が集まって、これからまたいっしょにいられるねと笑っていた。私も、「もう子どももいるのだけど」と思って何だか気恥ずかしさを感じながらも、嬉しくて懐かしくて、いっしょに笑っていた。

それは、娘が亡くなった頃、戻れたらいいなと思っていた頃の顔ぶれに似ていた。

酷く長くて暑い夏の終わりの朝だ。秋の雨が、からからに乾ききった畑にたっぷりとした湿り気と命を戻した。

今日、息子が一歳になった。

2009年06月04日

公開すべきか悩んだが、生まれるまでじっと10カ月もんもんとしているのもなんだか自分らしくない気がして、できるだけきちんと書こうと思い立った。

家の近くの大学病院に移り、妊娠前から様々な検査を経て妊娠し、7カ月目を迎えている。19週目で子宮頚管縫縮術(シロッカー)を受け2週間入院した。術前術後通して自宅で安静にしている。仕事も3カ月目頃には9割を店じまいしている。初期出血を除けば憂いもなく、毎日元気な胎動を感じている。

予定日は二度目の妊娠のそれと一日しか変わらない。もちろん意図したわけもなく、めぐりめぐってそうなってしまった。だから、妊娠生活は文字通りデジャヴのようだ。しかし、なぜか時間が経つのが早く感じるのは意外だった。多分、予定日が近づいているというよりも、エックスデーが近づいているような恐怖と共に生きているからだろう。

これではいかん。 狂ってしまうではないか。

お腹の中にいる新しい命には、100年は生きてもらうつもりだ。私のお腹にはなにか決定的に住み心地の悪いところがあるのかもしれない。でも、それはどうにかガマンしてもらいたいと思っている。

明日のことは考えられない。 今、ちろちろドンドンと動いている命の、「今日」を、いや、「今」を愛しく思う。それでいいのだ。

運命の日から一年経ちました。

まずは私と夫を、じぶんでじぶんをほめたいとおもいます!

できるだけ朝早く起きて、美味しくてちゃんとしたごはんをたっぷり食べて、毎日しっかりと働いて、お休みの日には遊んで過ごして、面白いことに大笑いして、怒ったりケンカしたり誰かのうわさ話もして、夜はできるだけ早く寝て、しかもぐっすり寝て、夏も秋も冬も春もそうやって、一日一日大事にこつこつと過ごしてきました。

そして、365日。 これはすごいことじゃないかとおもいます!えらい!!

| Next»